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2009/10/18

(二代)桂小南「尼恋」

【世紀末亭】2009年10月18日定期アップ

今ここに憎からず思う異性がいるとして、好意の眼差しでそっと遠くから眺めているだけなら波風立たず平穏な日常生活が送れるものを、相手にその親愛の情を伝えたいという衝動に耐え切れなくなると、さまざまな権謀術数を労したくなり、生ける人間の業苦の始まりとなるのです。

まず手始めに軽く会釈をする、にこやかに笑顔を突き付ける、手を振り存在をアピールする、可能な限り接近する、無意識を装ってスキンシップを試みるなどなど、立ち居振る舞いによって感情の表現を試してみるわけです。気配を察した相手が受諾の素振りを見せたと感じれば、次にくるのが言葉による確認作業となります。

俗に言う「告白」は戦争で言えば最後通牒、宣戦布告、決死の覚悟で「好き」を言葉に託して伝える作業にほかなりません。友好条約締結が待っているか、見事な玉砕で華と散るのか、おのれの心情を言葉の鉄砲に込め、語彙の弾丸を命中させるべく引き金を引き続けます。

原子爆弾のような強力卑怯な言葉が存在するとしたら一発即陥落も夢ではありませんが、経験上そんな重宝な言葉は有り得ませんから、小火器を用い非力な言葉玉を一発一発、また一発と撃ち込まなければなりません。機関銃のように連射・速射が有利なのか、単発ライフル銃で狙いを定めるのが有効なのか、どちらにせよ当てる玉の性能次第で勝敗が分かれます。

ここに「好き」という弾丸を用意するとして「好き好き好き好き好き……」ではあまりに芸がなさ過ぎますから、これに変化を加えて揺さぶりをかける必要性を感じたとき、記憶に蓄えた語彙を必死に思い浮かべる苦闘も自虐的で楽しいものに違いありませんけど、そんなとき「シソーラス辞書(類語辞書)」が大きな味方になってくれるかも知れません。

たとえば「好き」をシソーラス辞書で開示すると【人・異性などが好き:好意(をもつ)・好感(を抱く)・親愛の情(を示す)・魅力(を感じる)・(~に対する)好感度・(~に)親しみを感じる・(兄として)慕う・恋心(を抱く)・(~に)首ったけ・(~に)なつく・最愛の(人)・大切な(ひと)・胸に飛び込みたくなる(男性)・「(わたしの)いとしい(人)」・「(人の)恋路(の邪魔するヤツは豆腐のカドに頭ぶつけて死んでしまえ)」・「死んでもいいワ」/

音楽・品物などが好き:(~が)大好き・(~が)好物・(~に)目がない・(~を)好む・(邦楽を)愛好する・(~を)ひいきにする・(~に)愛着を感じる・(~に)魅せられる・(その品が)気に入る・「お気に召しましたか」・「へたの横好き」・(~に)目を細める・(サッカー)小僧・(~集めが)道楽/

好きにする:勝手にする・好き放題の・自由気ままな・「ご随意(ずい)に」・「お好きなように」・「(とっくに)見放してる」・野放しにされる・放し飼いにされる・(自分の)いいようにする/

好きになる:(~に)好意を抱く・好意を寄せる・(~に)心を寄せる・(~を)憎からず思う・(~に)恋をする・(~を)好く・(~を)好ましく思う・(~に)夢中になる・ほれる・のぼせる・(~を)見そめる・(~を)熱愛する・(~の気持ちに)火がつく・(お互い)燃え上がる】

どうですこの選り取り見どり、あの手この手、リーサルウェポン、フルメタルジャケット。う~ん、若き日にこんな辞書があると知っていれば、もっともっと有利な作戦展開ができたものを、今となってはもう手遅れなのが悔しい。

●(二代)桂小南「尼恋」
甚兵衛さんがマッタリとした時間を楽しんでいるところへ、世の中の常識に全くとらわれず自由な心で生きている喜六が飛び込んで来た。話を聞けば、そんな自由な喜六にも彼女ができたらしい。ただし、いまだ手も握ったことがなく「何とか先に進む方法はないものか?」と尋ねる喜六に「文をしたため、相手に渡せ」一応、歳だけは大先輩の甚兵衛さんは答えてやるのだが、字が書けないというではないか。そこで代筆で恋文を一本したため持たせてやることに……
http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakug469.htm

●(二代)桂歌之助「書割盗人」:江戸落語「だくだく」
甚兵衛さんがマッタリとした時間を楽しんでいるところへ、世の中の常識に全くとらわれず自由な心で生きているヤモメが飛び込んで来た。話を聞けば、そんな自由なヤモメが近所に宿替えして来たらしい。ただし「宿替えした家があまりにボロボロなので、真っ白い紙を部屋一面に貼ったら、病気で入院しているようで居心地が悪い。そこで絵心のある甚兵衛さんに所帯道具一切を芝居の書割のように描いてもらい、モノがある態(たい)、つもりで生活したいので描いて欲しい」というではないか。頼みに応じ部屋の調度を描き上げたその夜更け……
http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakug231.htm

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2009/10/04

(二代)桂小南「とろろん」

【世紀末亭】2009年10月4日定期アップ

ここ1年ばかり夕食後のひと時、映画鑑賞をするのが習慣となりました。ビデオデッキを手に入れた30代の頃、テレビ番組表をチェックしてはノーカット、吹き替え無しの字幕スーパー限定で録画したものと、同時期に集め始めたレーザーディスク作品です。80年代以降のリアルタイム新作も多少はありますが、多くは70年代以前の古い作品、いわゆる古典映画に属する評価の定まったものを中心に、古くは1915年チャーリー・チャップリンの無声映画なんてものもあったりします。

映画を集め始めた当時、既に十分時代を経過した古典に初めて接し、30歳を過ぎたばかりのわたしの感想は「古いなぁ、絶対二度とは観ないだろうなぁ」。確かに、映画史上に残るだけあってその密度の高さは理解できても、内に込められたメッセージを読み取れず、近づけない作品がありました。

そんな作品もとりあえず消さずに棚に残しておいて二十数年経った今、あらためて観てみると感じ方に変化が生まれています。映画の古さは20年プラスされているはずなのに、中身は逆にマイナスされて古さを古いと感じない。ややこしい言い方ですな、つまり、演出されたセリフ、表情、アクションが今のわたしの年齢になって、ようやく理解できるようになった、わたしが古くなったというのでしょうか。

そういえば最近、若い頃には美味しく感じることがなく、自ら絶対好んで食べることがないだろうと思っていた、白菜や豆腐の淡白な旨味や、薄味で煮ふくめた大根の旨味がくせになり、ほぼ毎週好んでメニューに加えるようになりました。歳とともに味覚が老化しのか、歳を重ねて本来の旨さに気付いたのか、どちらにしても変化していることをはっきり感じます。

ものの良し悪し、好き嫌いに「絶対」なんてものは絶対にないのだ、時間の経過で変化する、と遅まきながら実感した2009年10月4日、今日この頃です。

●(二代)桂小南「とろろん」
贅沢にも馬の背に揺られながらの旅道中、足はくたびれないかわりに腰と背中が痛くてしょ~がない喜六・清八の二人連れ、東海道は丸子(まりこ)の宿「いちりき」へ到着した。町の寄り合いのため階下を使用中とかで、客は全て二階部屋に押し込まれるが、見知らぬ旅人同士話すのも楽しいもの、やがてひと風呂浴び嬉しい食事の時間がやってきた。そう、ここ丸子は「麦飯とろろ」が名物なのだ。しかし、麦飯はさっさと運ばれたものの肝心の「とろろ」がなかなか届かない。そこで……
http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakug468.htm

●(初代)桂ざこば「脱線車掌」
大阪市電・南北線に乗車する車掌さん、今日は待ちに待った月給日である。メリケンパブ屋でちょっとアルコール補給ののち、業務の余禄どこまで乗ってもタダの市電に乗り込み「公園南一丁目」で降り立つと、そこはあの男の歓楽街「飛田新地」の入口だった。中に入ればさっそく客引きが声をかけ、上がったところ出て来た初会の相方は「わたし、女学校のころ市電通学していたの、あなたの顔を覚えているわ」と言いだしたではないか……
http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakug230.htm

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