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2008/03/16

露の五郎「五郎艶笑噺集一」

【世紀末亭】3月16日定期アップ

できちゃいました……、気が付いたのは11日夜のことです。ザワザワと茂っている中心部分を何気に見ていたとき、いつにも増して明るく感じ、指先を忍ばせて重なりを分け開き、しげしげと眺めてみると、ほんのりと赤みがさし堅く尖ったものが見えます。「何だろう?」と、部屋の明かりを点けてじっくり観察したら、明らかに子どもができた兆候でした。

お付き合いをはじめてほぼ3年、重々気を付けていたはずなのに、できるなんて思っていなかったのに。しかしまぁ、週に最低一回は必ずしていたし、その気になったら毎日やって、愛情は十分すぎるほど注いでいたから当然と言えば当然かもしれませんが、まさか本当にできるとは……

大きく育ったパイナップルの鉢植え 思えばあれは3年前の5月のことでした。いつものように落語会に出かけ楽しいひと時をすごした帰り間際、彼女に出会ったのです。よくぞ抽選会で彼女に引き合わせていくださいました、本当に感謝しています。仲介の労をとっていただいた米朝一門の中堅、京の噺家桂米二師匠ありがとうございます。

顔をのぞかせたパイナップルの花穂 そうなんです。2005年5月13日の「桂米二不定期落語会」で当たったパイナップルの本体を美味しくいただいたそのあと、冠芽(クラウン)を鉢に挿し木して観葉植物代わりに眺めていたら、室内で育てているにもかかわらず花が咲きそうな具合になっています。

花穂のアップ 師匠、あのとき当てていただいたパイナップルに子どもが誕生します。今はまだ花穂の先がほんの少し顔を出したばかりですが、やがて花が咲き、半年後には受粉の有無にかかわらず結実するとのことですので、今年の秋には元気な子どもの姿を見ることができるでしょう。

真上から見た花穂 これといって手入れしたこともなく、ただ大き目の鉢に植えたのと、夏はたっぷり冬は控えめの水遣りに注意していただけなのに、生き物の繁殖能力というのは偉大なものですね。これはもう、丈夫なパイナップルベビーを是非ともこの世に生み出さないわけにはいきません。子を授かった父親の心境? かな。

【正しいパイナップルの挿し木】
 ・米二師匠の「果物落語会」でパイナップルを当てる
 ・なかなか当たらないので何度も通う
 ・それでも当たらないときは買ってくる
 ・葉の部分(冠芽:クラウン)を外す
 ・もちろん、本体は美味しくいただく
 ・下から4センチぐらいまで葉を取る
 ・水につけて果肉を残らず除くと腐りにくい
 ・水は毎日取り替える
 ・2週間ほどで根が生えだす
 ・植木鉢に土を入れて植える
 ・想像以上に大きく育つため、鉢は大き目のものにする
 ・土はホームセンターで売っている植木鉢用でよい
 ・4月~7月の暖かいころが効果的
 ・室内の窓際で十分育つ
 ・越冬は人間が耐えられる温度なら大丈夫
 ・夏は土が完全に乾くたび、冬は1週間に1度水をやる
 ・3年ほど育てると実が成る可能性大
 ・実が成らなくても葉姿は癒しになる

●露の五郎(五郎兵衛)「五郎艶笑噺集一」:強艶笑噺
どうしても泣き止まない子をあやすため、乳母(おんば)さんは自らの女性自身を獅子舞の獅子頭に見立てて「お獅子ぃ~、パ~クパクッ」と開いたり閉じたりして見せる。と、興味が湧いたものとみえて、小さな可愛い手でツンツン、ツンツン。やがて乳母さん、気分が出たものとみえ、お汁(おつい)がトロ~リと……『お獅子つぶれた』ほか『蟹と行者』『指は知っていた』『もう一合』『鞍馬の天狗』の五演目収録。
http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakug432.htm

●桂米朝「算段の平兵衛」
村の中でお手掛けさんを囲っているのが奥さんにばれた庄屋は、何がしかの金を付けお花を平兵衛に押し付けることで一件落着した。しかし定まった仕事を持たない平兵衛、すぐに金を使い果たして生活に困り、美人局(つつもたせ)で庄屋を陥れようとするのだが、弾みで殺めてしまう。酒に酔っての事故死に見せかけようと算段し、庄屋の家まで運ぶと、中から「入れられまへん」「入れてくれなんだら首吊って死ぬ」「首でも何でも吊りなはれ」渡りに船とばかり、死体を松の木に吊って帰って来るやいなや、追いかけるように庄屋の奥さんが訪れ「算段してもらいたいことが……」さぁ、このあと平兵衛の算段で庄屋の死体があっちへこっちへ、結末はいかに?
http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakug195.htm

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2008/03/02

林家小染(四代目)「腕食い」

【世紀末亭】3月2日定期アップ

自発的にではなく偶然始まったテレビの無い生活が9か月過ぎてしまいました。と言いましても、ビデオデッキはまだ元気なので、夕方のニュース番組の音声だけ聴いたり、落語テレビ番組の録音に使ったり、電波の一部は有効利用させていただいております。

不便なのは、ビデオのタイマー設定が本体のみではできず、テレビ画面で案内されるタイプのため、番組開始時間に録画ボタンを押し、終わるとストップボタンを押す、いわゆる人力タイマーでしか稼動しないことでして、就寝時や外出時や忘却時の録画はアウトです。

しかし困るのはただその一点だけ、テレビ最大の機能であるところの「映像」を見ることができないことに、何の不都合も感じないというのはどういうことのなのでしょう。そりゃ、どうしても目にしたい画像はあるにはあります。そんなときにはネットで局のホームページにアクセスすれば、特集ものならライブ映像が掲載されていることが多いので問題なし。

どちらかと言えば、ダラダラ見が身に沁み付いたテレビ人間のわたしでも、状況次第ではテレビ離れを起こすことが可能であることを身をもって体験しています。これがどういう意味を持つかと、得意の妄想で考察するならば「2011年7月24日アナログ電波停止を機にテレビから離れる人がきっといるにちがいない」

例えば、その数が1パーセントなら120万人が離れていくことになり、テレビを見る人が少なくなれば広告価値も同等に下がり広告収入も同じく低下(仮に全広告収入が年2兆円とすれば200億円の減収)することになるのです。別に経営者の心配をするわけではありませんが、1パーセントの視聴率で右往左往する放送屋さんにとって、これは一大事じゃないですか?

これがほんの一時的な落ち込みで、一旦テレビを見なくなった人が「是非とも再びテレビを買ってでも見よう」と思うほど、強力に人を惹きつける番組を送り出している自信があり、視聴者の確かな反応も得ていて、すぐに回復する見込みがあるなら問題ないのでしょうけど……

テレビも無いのにテレビ関係の話題、これからますます興味津々。

●林家小染(四代目)「腕(かいな)食い」
店の掛け金を自分勝手に集金し、勘当を喰らって家を出てしまった中船場の次男坊若旦那が、三年の放浪生活ののち大阪へ舞い戻って来た。もとより実家に顔を出せるはずもなく、別家した徳兵衛を頼って家の前に立ったその姿は見る影もない乞食そのもの。徳兵衛の配慮でしばらく居候させてもらううち、婿養子に出ないかという話が持ち上がる。先方は資産家で母娘二人家族の美人、気兼ねする人もないという良縁なのだが、たったひとつ、この娘には傷があった……
http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakug431.htm

●桂米朝「鯉舟」
若旦那が東横堀に舟を付け、投網に出かけようとしているところを見つけたのが髪結いの磯七だった。磯村屋とあだ名されるこの男、楽しみごとがあると付いて来ては場を盛り上げる、いわゆる町内の太鼓持ち「町太鼓」というやつで「来るな」というのに一緒にお供するといって聞かない。とうとう根負けして連れて行くと、最初のひと網で立派な鯉をしとめてしまう。さっそく磯村屋がこの鯉を料理にかかると……
http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakug194.htm

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