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2008/01/20

露の五郎「人形の目」

【世紀末亭】1月20日定期アップ

昨年11月4日付けで触れた「わたしとはどんな人間なのか?」の続きです。手話通訳を舞台から下ろしてしまった噺家さんの是非はさておき(さておくんかい)、今回新たに解析の手段となるかもしれない話題を一つ提示してみたいと思います。

ご存知の方はご存知でしょうし、ご存知ない方には知っていただきたいこの話。発端は大阪のさる有名な地域寄席独身男女スタッフ約2名が、寄席の手伝いで毎回顔を合わせるのをいいことに恋に落ち、愛をはぐくみ結婚という生活保障を掴み取ったことから始まります。

スタッフ一同、仲間のおめでたを祝おうと、どうせなら寄席で出来上がったカップルなのだから、寄席で結婚式なんてどうじゃろかい? というような乗りでもって「地域寄席結婚式」なる企画を立ち上げます。事はとんとん拍子に運び、大阪天満宮で挙式し、あの繁昌亭で「披露の会」を行うことが決定しました。

数か月前より準備おこたりなく、会場である繁昌亭との折衝、チラシ配布、前売り券販売、マスコミ対策……、全て順調に、いくわけがありません。繁昌亭の手違いで、押さえた日が「天神寄席」だから日を変えろ、同じく繁昌亭からの命令で、素人(新郎新婦)を舞台に上げることは相成らん。

しかしスタッフも考えよったねぇ、天神寄席を冠に戴いて、客席に仮設舞台を作ってしまえばクリアできるやないの。ということで用意万端整った当日、天満宮では挙式、繁昌亭では祝いの落語会が平行して進み、さて中入り後「結婚披露の会」が始まろうかというその時、突然姿を現わしたのが上方落語協会副会長某KH師匠であった(パンパン、パパンパンッ)

血相を変えて現われた某KH師は「#$%&@*?+¥%$+@¥&%=?……」残念ながら、どのような言葉をおっしゃったのかまでは情報が届いておりません。しかしながら、この会をなじり、新郎新婦をなじり、主催者をなじり、繁昌亭支配人をなじり、地域寄席世話人の文太師をなじり、一方的にまくし立てて待たせていたタクシーに乗って颯爽と繁昌亭をあとにしたのでありました(パンパン、パパンパンッ)

繁昌亭を使っての結婚披露の会が妥当であるか否か、そんなもの個人の嗜好の問題やから何やってもよろしいやないですか。面白いと思う人は行くし、興味が無ければわたしのように行かないと選択できる。貸し会場である繁昌亭、寄付金を集めて作ってもらった繁昌亭、噺家は一円も出資せずに日銭だけは稼でいく繁昌亭、その繁昌亭が了解しての企画なのだから。

上方落語協会副会長某KH師匠の言動が「上方落語協会」としてなのか、それとも「たまたま上方落語協会副会長をしている某KH師個人」としてなのか、落としどころを間違うと面白いことになるのであります(パンパン)。但し、このお話は現在進行中であり、しかも地域寄席側発表のみ、某KH師がいかに反論するか? 続きはまたの機会に、今晩はこれまで。

●露の五郎(五郎兵衛)「人形の目」:艶笑噺
奥さんを亡くした大家の親旦那に、若旦那夫婦は後添えをもらうように勧めるが「もうそんな歳じゃありゃせんがな」と耳を貸そうとしない。それもそのはず、身の回りの世話をしてくれている上の女衆、お絹と何となくそんな関係になっていた。それを知った若旦那、とがめるどころか「大っぴらにやるべきこともできないだろう、店中総出で芝居に出かけ、一日好きなだけ楽しんでもらおう」と策を練る。芝居行き当日、店が空になるのも都合が悪い、というので定吉を残したのだが、それがいけなかった……
http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakug428.htm

●桂九雀「半分雪」:通名は「半分垢」
江戸相撲へ修行に出ていた関取が三年ぶりに戻って来た。さっそく町内の源さんが訪ねるが、長旅の疲れでまだ休んでいるという。お上さんの話では「背は雲に届くかと思うほど大きく、顔はタタミ二枚、目はスイカ、五升のご飯を平らげ、布団二十枚でも手足がはみ出し、帰りの道中牛を三匹踏み潰すほど大きくなって戻った」と言う。奥の部屋で聞いていた関取は出るに出られず、源さんが帰ったあと「立派になって戻ったとベンチャラ言われても、謙遜するのが関取の女房、それを輪を掛けて調子に乗ってどうする」と叱り飛ばし、三島の宿で女衆から聞いた「天を突く富士のお山も半分は雪」の謙遜を語って聞かせた。しばらくして「大きくなった」と聞きつけた熊五郎が訪ねると……
http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakug191.htm

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2008/01/06

桂雀三郎「茶屋迎い」

【世紀末亭】1月6日定期アップ

2008年(平成20年)、明けましておめでとうございます。こちら関西ではちょっと低めの気温ながら、まずまず天気に恵まれ穏やかな年越しでした。空模様に左右される初詣客の減を心配していた神社仏閣屋さんも、ホッと胸をなでおろしていることでしょう。

初詣といえば、信州地方では大晦日から参って、拝みながら年を越すことを「二年詣り」と呼ぶそうです。足かけ二年の二年詣りでしょうね。でも、毎年欠かさず参ってる人は、大晦日の分はその年の元日に参ってるわけですから、二年にならんのやないの? とか、不信心者のわたしは考えたりしてしまうのです。関西じゃ前年から参っていても、年を越したその瞬間が「初詣」ということで、合理的。

そんな不信心者のわたしでも、気が向くと「初詣気分」を楽しみたくなることがあり、以前は夜中にフラッと出かけることがありました。多くは奈良方面、春日大社、手向山八幡宮、東大寺大仏殿を巡り、曇ってなければ帰りに生駒山上に寄って初日の出を拝む周遊コース。バイクに凝っていた頃には数年連続、暗峠(くらがりとうげ)越えもしました。

気分で行くニワカ信者にはご贔屓神社はありませんから、たまに飛鳥の談山神社まで足を延ばしたり、大阪天満宮から高津神社まで松屋町筋(まっちゃまちすじ)をただ迷わず真っ直ぐ歩いたり、自転車ころがして落語「東の旅」で有名な深江笠、深江稲荷神社に参ったり。まっ、世間になんの気兼ねもなく夜中にウロウロ徘徊できるのが楽しかっただけ、のような気がしないでもありません。

一度だけ昼の住吉大社にお邪魔したこともありました。南海電車を降りて太鼓橋を渡り切るまでに1時間とか2時間とか、もう前は人で埋まってるわ、後ろからは次々押し寄せて来るわ、正月早々何をしてるのかと……、それでなくてもイラチなわたしですから前を歩く人の脚を蹴ったり、足を踏んだり。前の人はまさに「踏んだり蹴ったり」だったろうな、と思うのです。でも「踏んだり蹴ったり」したのはわたしなのです。

ということで、今年もよろしくお願いします。

●桂雀三郎「茶屋迎い(J版)」:江戸落語「不幸者」
ノラクラ暮らしている若旦那がある日突然「仕事を覚えたい、ついては得意先の顔を覚えるため、掛けの集金に行ってくる」と申し出た。喜んだ親旦那、言われるまま送り出すと案の定、金を集めて新町の御茶屋に居続け、三日たっても帰ってこない。そこで、小さい頃から馬合いの熊さんに頼み連れ戻しに行かせると、三日たっても戻ってこない。それではというので、店で一番の堅物、杢兵衛を走らせるが戻ってこない。ならば分別のある番頭なら……、やっぱり戻ってこない。最後の手段、親旦那自ら乗り込んで行くと……
http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakug426.htm

●桂文珍「茶屋迎い(B版)」:江戸落語「不幸者」
番頭が帳面を付けているところへ若旦那が現われ「商いの勉強がしたい」と言う。算盤の稽古をしてもらうと、すぐに飽きがきて「やっぱり商いというのはお客さんの顔覚えんのが一番や、集金に回ったろか?」請求書の束を渡すとシュッと懐に入れ、暖簾をス~ッとくぐって出て行ったきり五日たっても戻ってこない。どうも集めた金を持って新町の茨木屋に上がりこみ、居続けているらしい。わけを知った親旦那は、手代の久七を迎えに行かせるが、五日待っても戻らない。堅物の杢兵衛をやるが、これも戻らない。ならばと、番頭を……、戻ってくるわけがない。そこで親旦那自ら新町の茨木屋に向かうと……
http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakug427.htm

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