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2007/04/08

露の五郎「唐人お吉」

【世紀末亭】4月8日定期アップ

ひさかたの天の香具山 この夕べ霞たなびく 春立つらしも  人麻呂
子らが手を巻向山に 春されば木の葉しのぎて 霞たなびく  人麻呂
春の野に霞たなびき うら悲しこの夕影に 鶯鳴くも  家持
佐保山にたなびく 霞見るごとに妹を思ひて 泣かぬ日はなし  家持

『萬葉集(まんにょうしゅう)』から春と霞を詠み込んだ歌を拾い出してみました。といって、文学的な香りを楽しもうという魂胆ではなく、万葉の昔から「春」に「霞」は付きものだという証しにしようとしたまでです。ご存知のように、中国大陸ゴビ砂漠からはるばる飛翔して来た「黄砂」が「春霞」の正体だと、今ではほとんど知れ渡るようになりました。

しかしです、上記の歌を「黄砂」と読み替えてしまうと……、読み替えないまでも、頭の中で「春霞というのは、黄砂なんだ」と思い浮かべただけで春の心はのどけからまし。ニュース報道で「黄砂の来襲」なんて見出しを見るたびに「全国的に霞たなびく」でえぇやないの。科学の発展というのは人の心をして攻撃的にさせるものなんだなぁ……、とつらつら。

霞たなびく春といえば入学シーズン、1972年のその時、わたしは入学式を前に越前・越中・越後方面へ一人旅の最中、金沢の宿で新聞を見て「高松塚古墳壁画」の発見を知りました。今、詳しい日にちを調べると3月21日の出来事だったようです。これから入る学校の名前が大きく取り上げられていて妙な興奮を覚えたものです。

その「高松塚古墳壁画」の発見から35年経った今、壁画がバラバラに解体されて復元されるという、ご臨終を迎えたのはご愁傷さま。こちらの科学は国家役人の手によってズタズタにされちまったようで、発展できないのも何だかなぁ……、とつらつら。

入学シーズンといえば、人の移動を狙っていろんな「春のキャンペーン」が繰り広げられるなか、うちの長屋にも「何ちゃら光」とやらが導入され、VDSL・光回線への乗り換え案内が届きました。な、何とADSL・電話回線よりも早い・安い。

さっそく乗り換えたいのはヤマヤマなれど、昨年暮れにモデム買い取ってその償却が来年の春やないですか。どうして、もうちょっと早く計画知らせてくれないの? 知ってれば買い取らずに乗り換えられたものを。科学は発展しても、こっちの経済が追いつかないなぁ……、とつらつら。

つらつら、つらつら、うつらうつらうつら……、暁は覚えても、春の頭に霞たなびき、とりとめのない話でおしまい。いつものことやて? ほっといてか。

●露の五郎(五郎兵衛)「唐人お吉」:艶笑ばなし(R12指定)
1853年、アメリカの東インド艦隊司令官ペリーが浦賀に来航し開国を迫ってのち、1856年に外交官ハリスが初代駐日総領事として下田に着任した。下田奉行井上清直は総領事の接待の一環として酒席を設けるが、ハリスは座敷に呼ばれた下田芸者のうち、当時17歳の斎藤きちに目を付け領事館詰めを所望する。しかし、斎藤きちには鶴松(川井又五郎)という許婚者がおり申し出を拒否。幕府は侍妾として任命するために画策をはじめる……
http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakug414.htm

●桂文我「苫が島」
御三家のひとつ、紀伊大納言徳川頼宣公が江戸詰めから帰国され、領地内にある「苫が島」についてお尋ねになった。家来は「加太岬の西方、東西二里、南北一里半の島」であること「無人で禽獣の住みかになっている」こと「以前、築城の用木を切り倒した罰で、島に入った者19名残らず死んでから立ち入り禁止になっている」こと「島には怪しきものが存在する」ことなどを説明する。すると頼宣公、俄然興味が湧いたものとみえ「近日中に狩りを行う」やがて狩りの当日、家中一統が苫が島に到着すると……
http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakug167.htm

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