« 2006年12月 | トップページ | 2007年2月 »

2007/01/21

桂七福「警察うどん」

【世紀末亭】1月21日定期アップ

科学的な1秒はセシウム133原子の基底状態の2つの超微細準位の間の遷移がどうたらこうたら、一般的には地球1回転が24時間、どちらも常に一定で、長くなったり短くなったりすることはありません。にもかかわらず、楽しいにつけ、苦しいにつけ、夢中に過ごしている時間は短く、早く過ぎ去れと思いながら過ごしている時間は長い。「時間て、いったい何じゃい?」という疑問がわく瞬間であります。

60秒を心で勘定しストップウォッチで計るとき、気の長い人は65秒かかり、短気な人は55秒でボタンを押してしまう、なんていうのも人間が精神的な生き物である証拠、体感時間で生きているということなのでしょう。なかに絶対音感ならぬ、絶対時間感を持っている人がいたら、気持ちによって変化する「時間を楽しむ楽しさ」を楽しめない、なんと楽しくないことか。気分で伸び縮みする時間を持ててよかった。

同じ原理かどうか、距離感にも精神的な個性・特性が反映されるように思います。例えば、わたしの居住地からミナミ、キタ、アベノへ行く場合を考えると、心の内では近い順にミナミ、アベノ、キタという距離感になっているところ、実際(駅間直線距離)には天王寺(6.3km)、難波(7.5km)、大阪(9.0km)とアベノが一番近いんですね。

もうちょっと遠くへ目を向け、奈良、京都、三ノ宮、和歌山、大津の順に脳内では遠くなっていくのに、実距離(直線距離)は奈良(22.6km)、三ノ宮(35.5km)、京都(39.2km)、大津(45.7km)、和歌山(59.9km)。いよいよはっきりと距離の感覚にもわたし独特の何かが影響しているようです。

で、「わたし独特の距離感覚」とは何であるのか? 何によってもたらされたものなのか? 調べようと、心の内面を深く掘り下げ……、いえいえ、そんなことするまでもなく、ほぼ料金と相関関係にあることが即座に分かりました。何と分かり易い精神構造であることか。

目的地 直線距離 時 間 料 金
難 波 7.5km  20分  ¥250 
天王寺 6.3km  20分  ¥320 
大 阪 9.0km  30分  ¥370 
奈 良 22.6km  40分  ¥430 
京 都 39.2km  1時間  ¥1090 
三ノ宮 35.5km  1時間  ¥820 
和歌山 59.9km  1時間10分  ¥1250 
大 津 45.7km  1時間20分  ¥1310 

●桂七福「警察うどん」:江戸落語「探偵うどん」
辻の角で獲物を待ち伏せし、曲がった瞬間、胸に頭突きを喰らわす。フッと息を詰まらせ動けなくしておいて、懐に素早く手を忍ばせ奪い取ると、財布の中には大枚三百円の現金が入っていた。まんまと掏り盗って逃げ切るつもりが、すぐに通報され非常線を張られてしまった。ジワリジワリと狭められる包囲網、とっさに担ぎのうどん屋を利用して突破する方法を考えた……
http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakug409.htm

●桂雀松「太鼓(幇間)腹」
贔屓の若旦那に呼ばれた太鼓持ちの茂八が、御茶屋の部屋を訪ねると「今日は差し、二人っきりで病人ごとをして遊びたい」という。なんでも、趣味で習っている鍼(はり)の練習台になってもらいたいらしい。そんな危ないことご免こうむりたいところだが、欲しいと思っていた鰐皮の札入れにお金が十円もらえると聞いて、ついついその気になってしまった。さっそく打ってもらうと、思いのほか痛みもなくス~ッとお腹に鍼が刺さって行くのだが……
http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakug162.htm

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007/01/07

笑福亭仁鶴「月宮殿・星の都」

【世紀末亭】1月7日定期アップ

只今現在、部屋の片隅にフェンダーのギターケースが立て掛けられています。はっきりした年月は忘れてしまいましたが、おおよそ30年間フタを開けたことがありません。開けたところで中にはテレキャスターを納める窪みだけがある、空っぽのギターケース。

中身は? たぶん弟の家にあると思うのですが、こちらも20年以上確認してませんので存在するのやら、売り払われたのやら……、機会があれば尋ねることにするとして、中身の行方が分かったところで既に関心はなくなってますから、もうどうでもいいことです。

どうでもいいことついでに「フェンダー」の擬態商品を売る「フェルナンデス」という楽器メーカーがあり、わたしそのメーカーの「ストラトキャスターもどき」を持ってました。アルファベットで綴ると Fender と Fernandes、書体まで似せてあるので遠目には見分けがつかないぐらい良く似ていました。

同じく、ついでにどうでもいいこと「マーチンギター」のコピーが「モーリスギター」、綴りは Martin と Morris、こちらも良く似てますですね。「ギブソン(Gibson)ギター」と「ボブソン(Bobson)ジーンズ」は似てはいるけど間違えない。けど、「ボブソンギター」とか言ってる人いませんか?

良く似ていると言えば「いたいけ」と「いたいけない」。「いたいけ」は「幼くていじらしいさま」をいい「いたいけない」は「幼くていじらしげである」と、どちらも同じ意味なのにどうして「ない」のか? この「ない」は無いのではなく「切ない」「せわしない」などと同類「程度のはなはだしい意を表す接尾語」の「ない」であると辞書に載っています。

この際、ついでにもう一つ似たもの比較しときましょう「おざなり」と「なおざり」。「おざなり」は「その場逃れ。いいかげん」で「なおざり」は「真剣でないこと。おろそかにすること」同じようでもあり、使い方には注意が要るようでもあり、「なおざり・おざなり」をなおざりに使ってはいけません。と、おざなりな作文の一丁上がり。

●笑福亭仁鶴「月宮殿・星の都」
酒を呑ますかわりに鰻を料理してくれと誘われた箱職人の徳兵衛さんだが、鰻なんか掴んだこともない。見よう見まねで鷲掴みにすると、ヌルヌル指の間からすり抜け、体は前へ前へ、下へ下へ、上へ上へ梯子段を昇りはじめた。と、にわかに竜巻が起こり鰻を掴んだまま天空高く巻き上げられてしまう。実はこの鰻、海に千年、川に千年、池に千年、三千年の劫経た(こぉへた)鰻、やがて徳兵衛は放り出され、道行く人に尋ねると「月宮殿・星の都」まで運ばれたと知れるのだが……
http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakug408.htm

●桂吉朝「蛸芝居」
船場のさる商家、主人から丁稚、女ごしにいたるまで大の芝居好きで四六時中、芝居の真似ばかりしている。今日しも「三番叟(さんばそぉ)」で起こされ、表を掃除しながら「水撒き奴(やっこ)」の芝居をし、仏壇の掃除で「仇討ち物」、子守で「お家騒動」、出入りの魚屋に水を向けると、鯛を手にして「忠臣蔵」を始めた。主人に叱られやっと静かになったと思ったら、今度はその大旦那自身が蛸を相手に……
http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakug161.htm

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2006年12月 | トップページ | 2007年2月 »