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2006/12/03

桂七福「金玉医者」

【世紀末亭】12月3日定期アップ

頭で考えると初冬であるはずの今日この頃ではありますが、気持ちのうえではまだ晩秋、やっと街路樹や公園の木々から緑が消え、赤や黄色に色付いて散りはじめています。地球温暖化のせいかどうか、ここ数年1~2週間は確実に紅葉の季節が遅れているような……。地球時間的にみれば、そんな急に季節が移動するはずないでしょうから、たぶん気のせいでしょうけどね。

春夏秋冬、どの季節も捨てがたい魅力を持つ日本に生まれ育っている関係で、次々巡ってくる季節を楽しむ「老年性和の心」が顕著に感じられる年頃になってきました。好ましいと思う四季を順位付けすれば、その老年性具合がよく分かります。夏の太陽ギラギラが大好きだった若い頃に比べ、春のパステル、秋のグレー、それぞれのグラデーションを感じられる季節がより好ましく思え、春の明るさもいいけど、秋の暗さはもっといいお年頃加減になりつつあります。

ところで唐突ですが、季節が輪っかになって一年を巡る、その輪っかのどこかを切り離して始まりと終わりを作るとしたら、どこがよろしいでしょう? 公的な年度変わりは春ですか、数え年は冬に歳を取り、子どもが大きく成長したと感じるのは夏、欧米の新学期は秋だったかな。農耕民族の血を受け継いでいるわたしは秋に一票入れときます。「一日千秋」「一刻千秋」昔の人も秋が巡り来る数で長い年月を感じておられます。これはやっぱり「豊の秋」農作物の収穫が一年の締めくくりだという感覚なのでしょう。

秋を使った言葉でほかに、初夏なのに「麦秋」晩夏の「夜の秋」季節関係なく「千秋楽」など、季節を越境している秋もあれば、わたしの好きな「錦秋」里山が錦に彩どられている様が目に浮かぶ、もっとも秋らしい言葉も。あッ、この錦秋ですけど、わたし長いあいだ「錦」と「綿」を見間違えて「めんしゅう」だとばかり思ってました。調べてみると本当に「綿秋(わたあき)」という言葉もあり「綿の実が熟する秋」の頃だそうです。散りゆく落ち葉を眺めているうちに今年も残りひと月を切りました、ご自愛ください。

●桂七福「金玉医者」
ひどい鬱状態で床に着いたたまま衰弱する一方の娘さん、何人もの医者に診せるがことごとくサジを投げるのだった。そこへ訪ねて来たのが出入りの太兵衛さん「故郷(いなか)で評判のお治し爺さんを紹介したい」と言う。怪しい加持祈祷や、体に傷を付けるような治療、投薬をしないで治す、ということなので診てもらうと、ひと月ほどで三味線を弾いて唄をうたい、食事も進むまでに回復した。父親はどんな治療をしたのか気になり、お治し爺さんに尋ねると……
http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakug406.htm

●桂ざこば「強情」
「A:ある時払いの催促無し、無利子・無証文で」と貸してくれた金を「B:自分で1か月の期限を切って」返そうと「C:1か月の期限で金を借り」Aに返しに行くと「A:借りた金は受け取れん、余った金ができたら返しに来い」と追い返された。仕方なくCに金を返しに行くと「C:決めた期限は1か月、受け取れん。Aに持って行け」と追い返される。そこでAに「B:自分で1か月と期限を切った……」と説明すると何とか受け取ってもらえそうだ。しかし「A:正確な1か月は明朝10時なのでそれまでは受け取れん」という……(説明するのが難しい)
http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakug159.htm

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