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2006/06/04

笑福亭生喬「野ざらし」

【世紀末亭】6月4日定期アップ

鉄道模型を製作するとき、模型そのものを作品ととらえ、忠実に細部まで表現し塗装も美しく仕上げる「工芸品的模型」と、鉄道が走る風景(シーナリー、レイアウト)を演出する舞台装置の一部ととらえ、リアルなウェザリング塗装(汚れ)を施して現実感を出す「状況的模型」。大きく分けるとこの2つのカテゴリーに分類できます。

わたしが好むのは模型然としたピカピカの置物ではなくて、風雪に耐えて働いてきた疲労感のある模型ですが、実はこれピカピカに仕上げるより数段手間ひま、技術、観察力が必要なのです。「汚れは単に汚れているのではなく、汚れる理由があって汚れている」と言えばお分かりでしょうか。理にかなった汚れは現実感を増しますが、かなわない汚れは非現実感をともないます。

子どもの頃、新しいスニーカーを買ってもらうと、うれしい反面下ろし立てのあの真っ白ピカピカに気恥ずかしさを覚える、ちょっとひねくれた感覚の持ち主でした。で、自ら泥砂を擦り付けて汚してしまったりします。ところが自然に汚れるのと違って、明らかに「汚した」跡が気になって、逆に気分が凹んでしまうというのが常でしたけど。

新品のジーンズを屋根の上に放置して天日に晒し色落ちさせる、というのも同列の発想だったのでしょう。服飾メーカーではここに目を付け、ストーンウォッシュとかブリーチとか慣れを付けて古着の風合いを出した製品を売り出し、いまや擦り切れ穴が開き、裂けて肌もろ出しの新品ジーンズが店頭に並んでたりします。

このエイジング・ファッションの流行、わたし大いに喜んでおります。ちょっと前なら擦り切れて穴の開いたジーンズは、月2回資源ゴミの燃えるゴミに分別して捨てる以外手がなかったのに、多少の穴なら気にせず穿いていられるようになりました、皆で穿けば恐くないですから。ただ根性が座ってないので、家の中と周辺数メートル以内に限られるのが年の功というものです。

とは言えですね、すべての穴に納得しているかといえば「穿きつぶしの穴は単に開いてるのではなくて、穴が開く理由があって開いている」。穴の開く理を超えて開けられた穴は気になって気になって、街中で見かけると「指突っ込んで裂いたろか」と不埒な思いに駆り立てられてしまう今日この頃なのです。

●笑福亭生喬「野ざらし」(江戸落語移植版、上方落語「骨つり」に相当)
夜更け、隣りの堅物先生の睦事を壁の穴から覗き見した喜ぃさんは、夜が明けるとさっそく問いただしに行き、事の顛末を聞き出す。なんでも、大川で釣りをしていたら河原で亡骸を発見し、手持ちの酒で回向すると夜になって幽霊が訪れ、お礼代わりにいろいろ世話をしてくれたという。「あんな綺麗な幽霊なら俺もあやかりたいもの」とばかり、竿を借りて大川に出かけて行くが……
http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakug394.htm

●桂雀三郎「いらち俥」
急ぎの所要のため大阪のステンショまで行こうと俥を探すがなかなか見つからない。やっと見付けた俥屋は梶棒を離すと立つこともできない退院したばかりの半病人で、次々と仲間の俥に抜かされまったく前へ進まなかった。見切りを付け別の俥を探すと、若くて俊足、威勢のいい、人呼んで「韋駄天の寅」が見付かりさっそく乗り込んだ。「北へ行ってくれ」の声で走り出した俥は言葉どおり速いには速かったが……
http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakug146.htm

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