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2006/01/22

桂文紅「地蔵の散髪」

【世紀末亭】1月22日定期アップ

上六、天六、谷六、谷九。言葉を短くするのは大阪人の専売特許かと思っていたら、日本の中心東京のお人もお下劣に短縮されてます。「地上波デジタルテレビ(地上デジタルテレビ)」を短くすると「地デジ」になるのだそうです。イボ痔、裂け痔、切れ痔、地デジ。

2003年12月に大阪、名古屋、東京からスタートしたデジタル化が、今年2006年度末までに日本国県庁所在地全域で開始され、一応種は全て蒔かれる格好になります。丈夫に育とうが枯れようが、大阪地方在住のわたしにとって別に気になりません。なぜなら、大阪は全放送局地デジ対応済みらしいから。

「対応済みらしい」と言うのは、わたしまだデジタルテレビなるものの実態未体験でして、電波が飛び交っているらしいという噂はお聞きするものの、アナログテレビ放送の内容から「デジタル化テレビ放送」を想像しようにも想像できないからなのです、地上波デジタルテレビとはいったい何? どんなメリットが? どうしてデジタルなの?

そんな疑問への答えが出ようと出まいと、1987年1〜6月期製造の我がテレビは寄る年波に勝てず、いつお逝きになられてもおかしくない状況に置かれています。テレビだけにとどまらずビデオもたぶんあと1年が危ない、持っても2年は無理でしょう。そのほかにもNTSCアナログ・コンポジット信号を扱う弱電機器類があと数個、余命とデジタル化との挟み撃ちに恐々とした日々を過ごしているのです。

いざという時のために対処の仕方を前もって計画しておかないとウロが来て、言葉巧みに家電量販店員に丸め込まれてもいけないので、少しばかり「地デジ」のお勉強をしてみました。調べれば調べるほど興味が薄れて「どうでもいいか」って思いに傾くのはなぜ? あっ、また「?マークが出た」

とりあえず「アナログ、デジタルを比較した時、テレビを見るという基本機能が満たされるなら価格の安い方を選ぶ」という結論が出ています。今のところ実勢価格29インチアナログテレビ4〜5万、25インチデジタルテレビ9万以上、ここから導き出せる結果は断然アナログ。

いえいえ、価格がどうこうもさることながら、わたしの人生にピタリと重なるテレビが、1950年11月に実験放送を開始して以来、休みなく毎日ズ〜ッと輻射し続けてきたアナログ電波、それがついにその終焉の時を迎える、まさに2011年7月24日24時00分00秒(仮)という歴史的瞬間を「アナログテレビでアナログ電波を受けて、砂嵐まで見送ってやりたいなぁ」って、科学のロマンやないですか?

と、キレイに結んだように見せかけておいて、実は地デジ開始2年経過現在デジタルテレビ出荷率も普及率も10%前後とか、あと5年で100%はどうみても無理でしょう。まさか、60%や70%の普及でアナログ電波停止するわけにもいかんやろから、完全地デジ化は失敗すると考えてるんですけど……

●桂文紅「地蔵の散髪」(「たけのこ」併載)
お尻に人より多く毛の生えている男、嫁さんに「抜いてしまわな離縁する」と言われた。一本抜いては休み、一本抜いては休みしているところへ友人が訪ねて来た。「俺がいっぺんに全部抜いてしまう方法を教えてやろう」ウカウカッと話に乗ってしまったこの男……
http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakug385.htm

●桂福団治「蜆売り」
世間は「戎(えべ)っさん」で賑わっている一月の十日、雪のちらつくなか蜆売りの少年が商家を訪ねるが、店の若い衆は邪険につまみ出そうとする。見とがめた主人が呼びとめ、蜆を売り歩くわけを聞くと「目の見えぬ母と、亭主が警察に引っ張られ病に寝込んだ姉に代わって働いている」と答える。姉の亭主が捕まったそのわけを聞くと……
http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakug137.htm

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2006/01/08

桂文我(三代目)「上方見物」

【世紀末亭】1月8日定期アップ

正月を象徴する食べ物も数々ありますが、黒豆、田作り、昆布巻、きんとん、数の子なんていうお節料理はもうかなり以前から作りも買い求めもしません。普段と変わらぬ食事メニューで元日早々焼肉の油煙まみれになる中、年明け最初の食事「お雑煮」だけは欠かすことなく続けています。

もともと我が家の大和本家系お雑煮は里芋、ニンジンの入った白味噌仕立てに丸餅がトロトロ溶けるほど煮込んだものです。因幡母系は焼いた餅に鳥肉と三つ葉、鳥ダシをかけたシンプルなもので、嫁姑確執がなくなってからというもの、次第に手抜き母の因幡系が巾を利かせて現在に至っているようです。

自身で調理しなければならない状態になって以来、伝統に囚われず大和風、因幡風、洋風、中華風、エスニック風さまざまな味にトライして、今年は昆布ダシに大根たっぷりの大根汁仕立てと焼いた餅の取り合わせにしてみました。

毎年12月の半ばにはスーパーに正月用品が並び始めますので、まだ正月値段になっていないその頃に1キロの餅を買い求めます。今年はそのうち、お雑煮に2個、そして先ほど磯辺巻きにして2個、都合4個消費しただけ、年々お餅の減り具合が遅くなってますね。

実は年越しそばにお餅を入れて「かちん蕎麦」にしてみたのですが、使った餅はその年買ったものではなく前年の暮のものでした。パック詰めの小餅は賞味期限の数字列さえ気にしなければ、乾ききってひび割れることも黴ることもなく、1年以上経って十分に食せます、この体が証明してます。

1キロ袋に小餅は20個、現在残り16個、昨年はぎりぎり年内消費できましたけど、今年は繰り越しするかも知れません、さて幾つ残ることやら。それにしても、パック切り餅にスリットを入れるというアイデアは誰が考えたんでしょう、いびつに膨れ上がることなくキレイに焼き上がります、大称賛。

●桂文我(三代目)「上方見物」
在所から上方見物にやって来た庄屋の倅(せがれ)は、宿の番頭に案内されて名所旧跡を回るなか、説明の言葉を帳面に丹念に付ける勤勉な若者だった。「森の中に赤いものが見えるがあれは?」「稲荷の鳥居です」「なるほど、赤いものは稲荷の鳥居、と言う」「ここにドタマが並んでいるが?」「これは千日前の獄門」「ドタマを獄門と言う……、上ることを上京、下ることを下阪」郷(くに)に帰ったある日、父親が柿の木から落ち医者を呼ぶ使いに手紙を託すが……
http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakug384.htm

●桂南光「二番煎じ」
年も押し詰まった一日、町内の番太(=雇いの用心番)に休みを取らせ、住人だけで火の用心をするのが恒例になっていた。例年ならば連れ立って見回ったあと番小屋に集まり、酒・肴を持ち寄って宴会になるのだが、今年は隣り町の喧嘩沙汰が原因で酒禁止のお達しが出た。がしかし、いろいろ知恵を働かせるのが人の子、風邪の薬と言い張って徳利酒を持ち込むツワモノが……
http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakug136.htm

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